歴代の車⑧ ホンダ 2代目「オデッセイ」

2代目 オデッセイ は、私の4台目の車になります。新車で購入しました。

インテグラ タイプRは、もっと乗っていたかったのですが、ひどい腱鞘炎ににかかってしまい、
マニュアル シフトの操作が困難になり、仕方なく手放しました。😱

オデッセイ は、初代から気になっていた車でした。今までにない低い車高、乗用車的な乗り心地と、
動力性能、ウォークスルーが可能な3列シート、広い室内から高い注目を浴びました。

オデッセイ は、ミニバンとしては異様に車高が低く、重心を下げ走りも意識していました。
ミニバンでも、走行性能は必要だと思っていたので、オデッセイ は、ピッタリの車でした。

実際の走りも、ミニバンとは思えない走りで期待以上でした。
乗り心地は多少固めですが、私としたは、しっかりしている方が好みなので今日範囲内です。
カーブも、ロールが少なくスポーティーセダン並みに走り、とても気に入りました。

エンジンは、2.3L 直列4気筒VTECエンジンが搭載されていました。
車重が重い、オデッセイを、VTECエンジンのおかげで6人乗せても、力強く走ってくれました。

室内の、広さは正直、他のミニバンよりは、高さ方向が低いので、狭く感じますが、
足下は十分な広さがありました。

 

歴代の車⑦ ホンダ 初代 DC2型「インテグラ タイプR 」最終型

初代 インテグラ タイプRは、私の3台目の車になります。新車で購入しました。

ステップ ワゴンは、いい車でしたが、どうしても走行面で物足りなくなり、
我慢できずに、インテグラ タイプR を購入してしまいました。

インテグラ タイプRは、ベースモデルに対して、
ピストン・カムシャフト・インテークマニホールド/エキゾーストマニホールド・ECUなどの変更と、
エンジンのポート研磨を手作業で行うなどを行い最高出力を200PS/8,000rpmとして
20PSの向上を実現しました。

エンジンの高回転化に合わせて2−5速がローレシオ化されクロスレシオとなった5速MTが組み合わせられ、
トラクション性能の向上のため、ヘリカルLSDが装着されていました。

外装は、タイプRの専用車体色の、チャンピオンシップホワイトで、
軽量アルミホイール、フロントのリップスポイラー及び、リアの大型スポイラーを装備。

内装は、内装ではモモ社製の360mm径ステアリング、チタン削り出しシフトノブ、
フルスケール10,000rpmのタコメーターを備えたイエロー指針のメータ群及び、
レカロ社製の真っ赤な、バケットシートが装着されていました。

インテグラ タイプRは、パワーに関しては、GT-Rのは遠く及びませんが、
とにかく、エンジンが素晴らしく、2速ギアで9000回転近く回り、まるでバイクのようでした。
足回りも素晴らしく、FF なのにこんなにカーブで曲がるのかと驚きました。
車体もコンパクトで軽量で、エンジン出力も200PSに対して、足回りが絶妙でバランスで、
私でも、フルに楽しめました。私が乗った車の中では一番楽しかったです。

GT-Rは、楽しかったですが、正直使いこなすのは無理でした。車に乗せられている感覚でした。
しかし、GT-Rの、独特の加速は今でも忘れられません。

歴代の車⑥ ホンダ 初代「ステップ ワゴン」

初代 ステップ ワゴンは、私の2台目の車になります。新車で購入しました。

BNR32  スカイライン GT- R は、約3年乗りましたが、維持費も大変なので、
車検前に、泣く泣く手放しました。

GT- R は、ホンダ ディーラーが破格の条件で買取をしてくれ、
ステップ ワゴンは、ほぼ、ずり替えで購入が出来ました。

GT- R は、ホンダ ディーラーの整備士の方が購入したいと聞いていたので、それも決め手です。
整備士の方なので大事に乗ってくれそうで安心して手放すことが出来ました。

なぜ?GT- Rから、ステップ ワゴンに乗り換えたかというと、他の車と比べるのが嫌で、
乗り換えるなら、全く違うジャンルの車にしようと思っていたからです。

ステップ ワゴンは、FFレイアウト型の低床ミニバンで、現在のミニバンの元祖です。
走りとかは、全く期待してなかったのですが、思っていたよりは安定していました。
室内は天井高もあり、とても広く、5ナンバーサイズの車とは思えないほどでした。

室内のデザインは、家の家具のようで、シートも、凸凹がないフラットなベッドになり、
まさに、家にいるような感じで、今でいう車中泊にピッタリの車でした。

 

歴代の車⑤ 日産「 BNR32:スカイライン GT-R」

BNR32  スカイライン GT- R は、無謀にも私が初めて購入した車です。

R32  GT- R は、1989年(平成元年)8月21から発売開始され、
1995年(平成6年)発売の、Vスペック・VスペックⅡが、最終型になります。

私が購入したのは、1995年(平成5年)発売の標準車の最終型の中古車です。
家の、グロリアを購入した当時の日産プリンス ディーラーで、販売されていました。
とても状態が良く、走行距離も少なめで、後先考えず即決でローンを組みました。
給料のほとんどが、GT- R で消えました。😅

GT- R の燃費は悪く、リッター5キロ前後でした。
さらに、1ケ月に1回のオイル交換が必須です。なぜか!?オイルが減るのです!
オイル交換1回の値段が、1万円もかかります。😓

当時は自主規制により、280馬力は超えてはいけないという、変なルールがありました。
GT-R は実際には、330馬力を超えているとう噂がありました。

そして、GT-R は、マフラーと、エアクリーナーを交換するだけで50馬力は上がると言われていました。
私も、交換しましたが、体感としては全体的に、さらに力強さが増した感じになります。

私が乗っていた GT-R は、人気の白だったので、信号待ちをしているだけで
注目されているのがわかり、その時は、ニヤリして所有している喜びを感じていました。
今でも、あの時に無理をしてでも GT-R を買ってよかったと思っています。

 

歴代の車③ 日産 「グロリア :グランツーリスモSV」

9代目 Y32 グロリアは、1991年6月に登場し、1995年まで販売されました。
当時の車は、4年サイクルでモデルチェンジをしていたので、意外と短い販売期間でした。

9代目 Y32 グロリアは、日産が1980年半ばから「1990年代に世界No.1の運動性能を実現する」ことを
目標とした、901運動と呼ばれる社内運動が、あった時代に生まれた車です。

クレスタも、5年目になり、2回目の車検を受ける前に乗り換えることにしました。
今度は、室内が広い車を探していました。クレスタは車体はそれなりに大きいのですが、
お世辞にも室内は広くありません。しかも、フワフワな乗り心地…

そこで当時、モデル末期を迎えていた、日産 グロリア が候補にあがりました。
これは、私が母親に強く推薦したからです。
「グランツーリスモ」と呼ばれる丸目4灯ヘッドランプをもつ“スポーティ”なモデルが、
少し悪な感じが、カッコよく、好きな車でした。母親も外観が気に入り購入することになりました。

今回も、母親の得意な値引き交渉で、またもや破格の値段で購入出来ました。
グレードは「グランツーリスモ SV」3L V6 DOHC 200馬力です。

車体も大柄なので室内も広く、間接照明などもあり、居心地がいい車でした。
乗り心地も、適度に引き締まっいて、カーブでのロールも最小限で、思った通りの車でした。

母親も、大柄な割には全体的に角ばっているので運転がしやすいと気に入っていました。

のちに、私も免許を取り、グロリアを、よく借りてドライブに行きました。
遠出をしたとき、高速道路主体で走ると、ガソリン満タンで1000kmも走ったときは驚いました。
当時としては珍しい、5速ATが搭載されていたのと、時速100キロでの走行時の
エンジン回転数が  ”1800” だったのが要因でしょうか。すごくいい車でした。

 

歴代の車② TOYOTA 「クレスタ:スーパールーセントG」スーパーチャージャー

クレスタは、マークⅡの3兄弟の末っ子に当る車になります。
長男が、マークⅡ。次男は、チェイサーです。

1988年8月に登場。
家の車も、もう少し大きい車が必要になり、クレスタのマイナーチェンジ前の1990年?
私が、12歳の頃に買い替えました。母親は値引き交渉が得意で、マイナーチェンジ前とはいえ、
ここでは書けないくらいの値引きをしてもらったことを今でも覚えています。

この代から4気筒、6気筒に関わらずガソリンエンジン搭載車が全てDOHC化
(ハイメカツインカムを含む)されました。

プレスドアが採用されるとともに丸みを帯びたデザインとなり、
数々の豪華装備やエレクトロニクス技術も満載された。

また、最上級グレードとして、スーパーチャージャーエンジン(1G-GZE)搭載の
「スーパールーセントG」(Super Lucent G)が新たに設定されました。

バブル景気ということもあってか、それまでの初代や、2代目を上回る大ヒットを見せ、
マークIIと、チェイサーを含めた販売台数は歴代1位を記録しています。

クレスタ(当時のトヨタ車)は、乗り心地は、とにかくソフトで母親は気持ちいいと話していました。
私は、フワフワで宙に浮いているみたいで、とにかく揺れるし、カーブするときは、必要以上に
ロールするはで、よく車酔いしていたので好きになれませんでした。

 

歴代の車① ホンダ 初代 「シティ:ハイパーシフト」

ホンダ 初代 シティは、1981年10月に登場し、斬新なデザインと先進的な技術で注目を集めました。
この車は、私が、7歳位の時、家の車でした。
新古車(ディラー展示車)確か値段は、当時でも破格の50万円前後だったと聞きました。

愛称「トールボーイ」で親しみやすい初代シティは、「AA/VF」型として知られ、1985年に登場した
「ハイパーシフト」が更なる進化を目指しました。

このハイパーシフト仕様車は、手動式切り替え(MT)に7段切り替え機構を実現する
サブ切り替え機構を組み合わせ、先駆的な機構が存在しました。
独自の順次機構は、通常の3ペダル構造とは異なり、途中操作されるペダルが3つ用意されていました。

このシステムでは、手動式の4MTと同様に、2〜3速に高速側(High)と低速側(Low)に切り替わる
副機の切り替えが実現し、計7段変速が実現しました。特筆すべきは、2〜4速のどの位置でも
アクセルペダルの踏み方により、高速側と低速側を自動的に選択できるポイントです。
これにより、運転者は臨機応変かつスムーズに運転を行うことができますできました。
初代Rタイプ「ハイパーシフト」は、自動式と手動式を融合させた機構になります。

分かりやすく言うと、エンストしそうになると、ギアが自動的に下がるので、
初心者(母親)でも、エンストが、しにくい車でした。
しかし、シフトレバーが、バスのように長く、ギアチェンジ時に、ギアが入りにくい車でした。

父親は免許を持っていないので、母親が乗っていたのですが、母親が言うには、
ギアが入りにくい、それ以外は、天井も高く運転しやすく乗りやすい、なかなかいい車だったようです。
私は、小さい頃から車が好きだったので、興味深く見ていました。
車の色は赤で車全体が、ポップで私も好きな車でした。